貴方の隣で笑っていたかった。
貴方をいつまでも見つめていたかった。
貴方の。
声を、手を、腕を、胸を、唇を
ずっと感じておきたかった。

ずっと、いつまでも、
貴方の側に居たかった。

 
名句で妄想 No.3     Until death parts us 


一日が終わる。
平穏で心穏やかな日々。

色々なものを失ったあの闘いから、既に2年の月日が経っていた。

私は二人の兄を、仲間を、そしてもう一人の兄と呼べる人も失った。
ケンは、多くの強敵(とも)と二人の兄の死を乗り越えて進んできた。
お互いが負った傷は予想以上に重いもので。




まだ完全にその傷は癒えてないけれども、
ようやく幸せというものを感じることが出来るようになったこの頃。

本から目を離すと、正面の椅子に腰掛けているケンシロウの姿が。

最近始めた彫刻に、一心不乱に打ち込んでいる。

しゅっ、しゅっ、しゅっ。
小さな部屋にリズミカルに響く音。
思いがけずその音が心地よくて、思わず目を瞑ったとき。
しゅっ、しゅっ、ガリッ。

む。

ケンの呟きに目を開けてみる。
刃がすべって指を軽く切ってしまった様だ。
私と目線が合うと、ばつが悪そうに目を逸らしてしまった。

まるで子供のような表情に思わず頬がゆるんだ。

皆は彼を、「悪魔の化身」や、「修羅」と呼ぶが。
そんなことはない。
彼は普通の人間。
少し不器用だけれども。
誰よりも優しくて、誰よりの人の痛みや悲しみを知っている。
ただの男。


そして、
私にとって唯一の人。
私の生きる意味。
私の支え。
私の愛。


気を取り直したかのように再び木像に取り組むケン。
あら?まだ少し頬が赤いようなのは私の気のせいかしら?

めったに見れぬその光景に、
本の続きを読む気ははもはや無くなっていた。
しかしあまり見つめているとケンは手を止めてしまうだろうから、
目だけを文章に落とし、神経はケンに集中する。

しゅっ、しゅっ、しゅっ。
テンポの良い音が部屋に再び響く。
乾いた木を削る音が耳に心地よい。


しゅっ、しゅっ、しゅっ。


しゅっ、しゅっ、しゅっ。


しゅっ、しゅっ、し…


なぜだろう。音が小さくなってきた。


代わりに。
胸の奥から、身体の底から。
わき上がってくる音。


ごぼごぼごぼ・・・


視界がかすれ、身体が熱くなる。


いや、聞きたくない。
そんな忌まわしい音、聞きたくもない。





ああ、もうすこし。
もう少しだけ時間をください。
もう少しあの音を聞いていたいのです。
もう少しこの幸せを感じでいたいのです。 


気がついたときにはケンの腕の中にいた。
椅子や机は倒れ、木像や道具類は床に散乱している。
そして手には喀血のあとが。


身体が重い。
ケンが支えてくれないと、崩れ落ちてしまいそうだ。
不安に揺れる彼の瞳。
あまりに真剣なその目に、発作が起こったことを悟った。
そして、
もう自分に残されている時間は僅かということも。




ああ、ケン。
貴方の隣で笑っていたかった。
貴方をいつまでも見つめていたかった。
貴方の。
声を、手を、腕を、胸を、唇を
ずっと感じておきたかった。



でももうそれは叶わぬ夢。
私の命はまもなく尽きてしまう。




彼の瞳が揺れている。
不安と、悲しみに覆われている。
夕暮れ時、迷子になった幼子のように。




ごめんなさい。ケン。
ずっと、いつまでも、貴方の側に居たかった。
ごめんなさい。ケン。
貴方を置いて死んでしまう私をどうか許して。


おずおずと彼に手を伸ばす。
思わず涙が零れそうになるのをムリヤリ押さえ込み、
出来る限りの優しさで頬をつつみ。

そして

触れるだけの口付けを落とした。
それはとても冷たく感じた。


もう、時間が無い。


彼の目を正面から見つめる。

ありったけの勇気でもって、
どうしても言わなくてはいけない台詞を口にする。

 

「もう死にます」

 

どんなにこの言葉が貴方を傷つけると分かっていても。
貴方を生きながら死なせる事は出来ないから。

「私はもう死にます」




ケン、お願い。

私がいなくなっても。

どうか生きて。
喋って、考えて、行動して。
よく笑って。たまには涙も流して、
もしすてきな女性に出会ったら、その人と愛を交わして。

貴方は、生きて。生き続けて。


きっと、それでこそ、
私が本当に愛した貴方だと思うから。







どうか、貴方は。


お願いね。




彼にとびきりの微笑を向けて、ゆっくりと瞼を閉じた。


Inspired By

夏目漱石 夢十夜 第一話
高見広春 Battle Royale



 




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