世紀末の世。
あるところに村があった。

その村にひとりの娘がいた。
名はマミヤ。小さいながらもその村を治める若きリーダーであった。
その姿のあでやかなること、美しさ、猛々しさ、行動力、そして心に燃える情熱は村人のみならず近隣の人々からも認められており、尊敬を一身に集めていた。

そのような人物の常だが、彼女はなかなか強情であり、一度決めたことを覆すようなことはほとんどしなかった。
指導者たるものの宿命でもあったといえる。
戦闘や村の重要事項については、彼女自身が得心しないかぎり、決して遣らせるということがない。普段は穏やかで冷静沈着なリーダーであったが、ひとたび、些細な悶着が起こったり、命に外れる者があれば、
彼女は恐ろしいまでの冷静さと冷酷さでもって問題に対処した。例え身内であっても躊躇することなく。




そしてこの村には一人の男が滞在している。名をレイという。南斗水鳥拳の使い手であり、村の守り手であり、同時に彼女の恋人でもあった。
二人の仲はむつまじく、なんら問題は無いように見受けられたが、一度悶着が起こると誰も手を出すことは出来なかった。しかし問題がどのように発生しようとも、破局に陥ることなく今日まで続いたのはひとえに彼女を心から愛するレイに帰するところが大きく、またマミヤもこの恋人にたいそう満足していた。というのも彼は村では並ぶ者がないほどの美丈夫で、しかも勇敢だったからである。マミヤは燃えるような思いでレイに焦がれ、そしてレイもその思いに全身全霊で応えていた。






ふたりの恋はここ数ヶ月の間は幸せに続いたが、ある日一組のカップルがこの村を訪問したことから話は始まる。





ビンタかキスか












共に戦った仲である男たちは別室にてそれぞれの近況を語り合っていた。そしてこの部屋に残されたのはマミヤと、彼女に瓜二つな女性、ユリア。
双生児かと見間違える二人だが、なんら血は繋がっておらず、また性格も大きく異なったが、それぞれが相手に自分の無いものを見出し、それを好感に思い。そうして彼女達の付き合いは続いていたのである。

会話も弾み、多少の喉の渇きを感じた時、それは起こった。
少年、名をバットという、が二人の女性をマジマジと眺め漏らした一言。
『本当に良く似ている』


何をいまさら、といった感もあった。事実二人が始めて顔をあわせたときは等身大の鏡があると思ったほど。かろうじて服装は違えども、髪の色も、背丈も、顔立ちも、瞳の色も全く同じ。
しいて特徴を述べるとマミヤが癖毛に対してユリアは直毛。そして二の腕の太さくらいなものであろう。


『そうね』の一言。
それで会話を切りをつけたつもりであったが、少年は思いのほかしつこかった。
『二人がそうやって並んでいたら、ケンもレイも見分けつかないんじゃないか?』
その言葉に、ぴしりっ、と眉間に皺を刻む。試したことなど無いだけに、そんなはずは無いと断言できない自分が恨めしかった。
横を振り向くと、同じく当惑したような顔。周囲の人間、アイリとリン、も言葉に詰まっているようだ。
少年を嗜めようと口を開こうとした瞬間、隣に座っている女性の顔に悪戯っ子のような微笑が浮かび上がってきたのを見た。どうしたのか、と目で問いかけると、微笑ひとつ。淡々と言い切った。
『それならば試してみましょう』









そして今。
レイの前で




部屋には複雑そうな表情をした妹が、心配そうに眺める少女が、相変わらず無表情な強敵が、そしてあからさまに楽しんでいる少年の姿があった。
そして部屋の中央。質素な木製の椅子に腰掛けた二人の女性。
身にまとう衣服も、髪型も、装飾品も、全て同じ。
慈愛に溢れた微笑を浮かべている彼女達はつま先からてっぺんまで全く同一の様相を呈していた。








『さあ、レイ。どっちがマミヤさんでどっちがユリアさんか分かるかな?』
笑いさえ含んだ声で少年、バット、が語りかける。
目線だけそちらの方向に向けると、『ノーヒントだぜ』との答えが返ってくる。
『普段からあんだけラブラブなんだ。いくら瓜二つって言っても最愛の女性だろ?分かるよな、当然。』



そうは言っても。
レイは再び視線を正面の二人の女性に戻す。
二人の違いである髪も、高く結い上げられた今の髪型ではどうにも判別しようが無い。加えてもう一つの、そして最大の相違点である腕の太さも、このゆったりとした衣装では図りようが無い。その上二人の女性は全く同じ表情で穏やかに微笑むのみ。己を魅了して止まぬあの強い瞳の輝きも今はどこにも見出せない。


ぶっちゃけ、レイにはどちらがマミヤでどちらがユリアだか分からなかったのだ。
しかしそんな事を口に出せるわけも無く、ただその場に立ちすくんでいると更なる言葉が彼を襲った。
『因みにケンは速攻で分かったぜ。』

そうなのか?と無言で強敵に目を向けると、やや決まり悪そうに視線を逸らすケンシロウ。

・・・・・・・・・・・・・・・



『はいはいはいはい。シンキングタイムは5分。そっから自分がマミヤさんだって思うほうを選んでくれよ。正解ならマミヤさんからのキス。・・・・・間違いなら・・・・。往復ビンタだってよ』


けけけ・・・。以前レイがプレゼントしたメリケンサック装備だよ。



笑い転げる少年。


「キス」の単語に瞬時頬を緩めたレイであったが、少年の続く言葉に全身を強張らせる。
すっかり固まってしまったレイを尻目に、椅子に腰掛けたままで女性が穏やかに微笑んだ。
その動き、その微笑にコンマ一秒の違いは無くまた一片の違いもない。






このような修羅場をかつてレイは経験したことがなかった。
あの拳王、世紀末覇者、と相対した時でさえこれほどの緊迫した空気を感じえたであろうか。

普段から『マミヤLOVE!!』を広言しながら、少しばかり衣服が変わり特徴が隠されたからといって分からない筈が無いのだ。いや、分からなくてはいけないのだ。

しかし・・・。
にこやかに微笑む二人の女性を前にして、レイは蛇に睨まれた蛙の如く微動ださえ出来ずにいた。




周囲の人々にとっても、彼が即答すると思いきや冷や汗だらだらで立ちすくむ姿をこうして視界に入れると、この後流血の惨事が起こるのではないかと、ある者は嘆き、ある者は心配し、ある者は気の毒そうに視線を落とし、そしてある者は楽しそうにしている。


当然、このレイが、南斗水鳥拳伝承者でもあるレイが、たかが女のビンタを喰らって倒れる筈も無い。だが、マミヤは普通の女性ではなかった。
紛いなりにも一つの集落のリーダーをはっている女性である。そんじょそこらの雑魚よりもよっぽど良い腕を持っているのだ。その豪腕から繰り出されるビンタの破壊力は如何ほどなのか。あえてそれは申し上げるないが。

その上絶対の強度を誇るチタン製のメリケンサックで往復ビンタ・・・。
『んもう〜。ばっか〜〜』
バチーン
などというレベルではない。

そして前述の通り、マミヤは時と場合によっては恐ろしいまでの冷酷になる女性であった。例え相手が身内であっても、恋人であっても。躊躇することなく。
そんな彼女の負けず嫌いな性格、そしてプライドの高さを鑑みると。


間違えば自分は間違いなボコボコにされるのだ・・・・。




さて、少し話を戻そう。

この一組のカップルが村を訪れた前後に、一人の男もこの村に足を踏み入れていた。
彼の名はユダ。かつてマミヤを連れ去り、消えぬ傷を負わした男でもありレイと死闘を繰り広げたこともある男だ。
闘いも終わり、なんとかレイとの仲を良くしたい。出来ればシュウと同じく親友レベルにまで。いや、可能ならばそれ以上に・・・。と画策している男、ユダ。

しかしその願いも見事に空回りし、レイからは想いどころか存在さえ気づいてもらえず、マミヤを初め村人からは白い目で睨まれ続ける日々を送っている南斗紅鶴拳伝承者である。






その彼は今現在。
窓を介して部屋の状況をうかがっていた。初めからずっと。いつものようにレイの姿を追い求めていたのだが見つからず、代わりにかつて自分が連れ去った女、レイの最愛の女性、を見張っていたのである。何故なら彼女の元にレイは必ず戻ってくるのだから。
羨ましさと幾ばくかの嫉妬をおり混ぜた視線を部屋の中の女性に向けていたユダであったが、続く展開に仰天しつつもそのまま観察を続けていた次第であった。







そして今、彼の眼前にはレイの姿が。
窓越しにでもはっきりと分かる顔色の悪さ、額を伝う汗、狼狽する瞳。
それら全てが指し示す真実、それは、どちらがマミヤか分からないということであった。


ユダの背にも冷たい汗が流れる。

果たして自分は・・・・。


思考の波に押し流されようとした時、レイの瞳が自分を捉えた。





レイは藁にも縋る思いでユダを見る。
彼はユダの性質を理解していた。

日々ストーキングを続けていたユダ。
『あれ?あのトランクスどこいったっけ?縞のヤツ』と一人ごちれば、窓際から飛び出し『左の引き出しの上から三番目だ』と叫ぶユダ。
『あ〜。今日も疲れた。なんだか暑気払いに辛いものが食べたいな』と呟けば、翌日帰宅して見つけるカレーの鍋(しかもご丁寧にカレーの王子様中辛←大好物)。
マミヤに無視を決め込まれ理由も分からず呆然としていると。ポンッと肩を叩いて一言。『レイよ、流石に裸エプロンをせがむのはどうかと思うぞ』


そんなユダだ。
大方窓の外から覗いてこの状況もほぼ把握しているに違いない。

先にバットは言った。『ケンではもう試した』と。
それならば一旦はそちらがマミヤでどちらがユリアか判明した筈。そしてそれもユダは覗いて知っていた筈。




 めざとい、不安げな眼差しが問うた。
「どっちだ?」あたかもそこからレイが大声で尋ねたかのごとく、ユダにははっきりわかった。

一刻の猶予もならぬ。
問いは、一瞬のうちに発せられた。

答えはつぎの一瞬でなければ。







 ユダの右腕は、窓越しからでもはっきりと見て取れた。そしてその長い指が指し示す方向も。


右へと。





レイ以外でそれを見たものはいない。彼以外の皆は彼がどのような選択をなすのかにのみ注意を払ってたのである。





 レイは向きを変えた。毅然とし、颯爽たる足取りで、二人の女性が座る椅子へと、部屋の中央へと進んでいく。あらゆる人々の心臓も呼吸も停まった。あらゆる眼が、レイの上に釘付けにされたまま、動けなくなっていた。





わずかな躊躇もなく、レイは右の女性のもとにと足を進めると。



彼女の元に跪き、恭しくその手に口付けを落としたのであった。















 さて、この話の肝要な点はここである。彼が選択したのはマミヤだったのか、ユリアだったのか。

 この問題は、考えれば考えるほど、答えるのがむずかしくなる。人間の心理に対する考察を含んでいるからである。人間の心理というものは、私たちを入り組んだ感情の迷路に誘って行く。この迷路のなかで出口を見つけるのは容易なことではない。

賢明なる読者諸氏、この問題を、自分自身に委ねられた問いに対する決断としてではなく、煮えたぎる血の流れる、嫉妬に燃えた(ユダ)の立場、心は憎しみと愛情が混ざり合う、白熱した炎に炙られるユダであるとして考えていただきたい。
そして彼の宿星が知略を司る、裏切りの星であることも。






己の想い人が間違った選択を行い、あの美しい顔が、もたらされる往復ビンタにより
醜く腫上り、へちゃむけ、ボコボコにされる。
そのような光景を脳裡に浮かべ、一体ユダはどれ程の恐怖に襲われたことであろう。

 だが、一方で。
もしもレイが正しい選択をなした時には、彼に与えられるのは愛する女性からの接吻。
『正解よ、レイ』と最愛の女性に微笑まれたレイの顔には正に天にも昇るような喜びの表情が浮かぶことであろう。それを思うと、ユダは歯がみし、髪をかきむしり、その胸は苦悶にさいなまれる。
マミヤのもとへ駈け寄るレイが見える。レイはマミヤの手を取って歩く。命が助かった喜びで、身体中が燃え上がるかのよう。周囲の喜びのどよめきと、祝福の拍手がにぎやかに鳴り響く音がする。
喜ばしげな表情を浮かべた周囲の人間をよそに、彼らは熱い口付けを交わすのであろう。
そしてその後も。レイの愛を確かめたマミヤは、幸せに頬を紅潮させながらレイの腕を取るであろう。
そして二人は愛し合うべくこの場から、この自分の前から姿を消すに違いない。

これならば、
殴打の瞬間を見過ごし、あの美しい顔、己が唯一認めた完璧な美、が血にまみれ、腫上り、包帯とシップにまかれた姿に暫し目を閉ざす。

そちらのほうが、自分のためなのではあるまいか。

だが、あのマミヤのおぞましい力を、腕力を、破壊力を、考えても見よ!




ユダの決断は、瞬時に示された。そうして一瞬のためらいもなく、ユダは手を上げて、右を指したのだった。




 ユダの決断がどうであったか、という問題は、軽々しく扱われてよいものではないし、私がこれに答えることのできるただひとりの人間である、とうぬぼれるつもりもない。そこで私はそれを読者にゆだねることにする。彼が指した右の女性は、どちらだったのだろう――





マミヤか、ユリアか。






そしてレイの運命は










ビンタか、それともキスだったのか?





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